広島県尾道市(しまなみ)の美術館/ポール・アイズピリ、ピカソ、ルオー、小林和作、梅原龍三郎、中川一政、林武などを所蔵。チェンバロによるコンサートやフレンチレストランでの食事も楽しめます。

 
なかた美術館
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さて、早一ヶ月が経ちましたが、アーティスト・ミーティング報告の続きです。

トークは休憩をはさんで、引き続き第4展示室へと進みます。

ここでは稲川 豊さんが、空間を思い切り使って作品を展開しています。



稲川さんは現在は尾道在住ですが、長らくロンドンを拠点に活動していました。

そこで西洋と日本の文化の違いを目の当たりにし、また改めて自分のルーツである日本のカルチャーシーンを見つめたときに、強い違和感や特異性を感じたと言います。


例えばクリスマスや教会での結婚式といった宗教的な行事や、人種的なアイデンティティに関わるような目の色や髪色を簡単に変えてしまう行為も、日本ではイベント的なもの、気軽なファッションとして受け入れられていたり、そもそも西洋由来の油絵に対して、日本画というジャンルを作ってしまった美術の歴史も然り。

 

最近よく「ガラパゴス」と喩えられたりしますが、外来の文化をしばしば憧れを持って取り込み、それを全く独自に解釈して楽しむ日本の様子は、ある意味でグロテスクなようで、非常に面白いものでもあり、そして切り離すことのできない自分のバックグラウンドでもあると稲川さんは言います。

そして稲川さんは、作品とは自分も含め、作り手となる人が背負っている文化の窓だと考えています。

自分とつながりのある友人知人や、身の回りの物たちを写真に撮って、コンピューター上で合成してイメージを作り、さらにそれをキャンバスに油絵の具で描く、という稲川さんの制作方法は、あらゆる文化を変形・合体させ、ねじれて、まぜこぜになった日本の文化の縮図になっているのです



今回、稲川さんの展示は2013年と2014年の新作ばかりです。

キャンバスと白木や布など、異素材を組み合わせたミクストメディアの作品や、アトリエで生まれた下絵、展示する作業の中で派生した形など、「作品」にならなかった側のものを組みあわせたインスタレーションなど、絵画というフォーマットに留まらない、新しい展開を見ることができます。


稲川さんはひとつ例え話をしてくれました。

鉛筆デッサンをして、2時間かけて色が変わった紙と、けずれて形を変えた消しゴムがあったとき、仮に「絵」という概念がない文化の人から見たら、消しゴムのほうが成果物のように見えるかもしれないと。


本来、限りなくある選択肢の中で、何を選び、作品として提示するか、その判断に自覚的であるべきだと気づかされます。

また、作者の思い通りのものだけを詰め込んで、窮屈な作品にしたくないとも語っておられました。

偶然や意図しないものも取り込んでいるのはそのためです。



作品や絵について、そしてその拠り所となる文化など、自明になってしまっている事ひとつひとつを、徹底して見つめ直し、検証していく稲川さんの姿勢が伺えます。その制作量、思考の密度に圧倒されたトークでした。


そして第2部は、車座トークです。

一般の方はもちろん、尾道市立大学や福山大学、はるばる東京からも大学生が参加してくれています。



聞き手の阿部さんからは、4組の作家に通底しているキーワードのひとつとして、「見えなさ」を挙げてくれました。

その「見えなさ」の訳語として、未見のものや、気づいていないもの、目をそむけていること、見失っているもの、などなど、あらゆる見えなさがあるはずで、それらを見ようとすること、あるいは見えないということを確かめることが、視覚表現に携わる動機のひとつなのではないかとのことでした。

ものを見るとき、もう一方で盲点は必ずあって、どれだけ多くのものを見ても、見えないものはなくなることがありません。

その尽きなさが、人を惹きつけたり、考えさせたり、求めさせたりしてしまうのでしょうね。


また見えなさの話から、写真を撮るときに必ずつきまとうフレーミングの問題、近代絵画とのつながりや断絶、それぞれが乗り越えようとしているものなどに話は展開していきます。

私たちのほとんどは、視覚に大きく依存して生きています。

それはとても不確かであいまいで、しかし、そのあいまいさこそが、人間の目が持つ優れた機能なのかなと思ったりします。


また「見えない彫刻」に対しても、さまざまな方が発言や質問をしてくださって、やっぱり非常に身近な存在だと感じました。

この日は結局、話が尽きることもまとまることもなく・・・、名残惜しいながらも17:30でタイムアウトとさせていただきました。

たくさんの方にお越し頂いて、たいへん貴重な時間になったと思います。


個人的にも、まだまだ考え足りなかったり、お聞きしたいことが山積みなのですが、これにて4回にわけた報告も一旦〆させていただきます。

どうもありがとうございました!



(上から2枚目、3枚目:photo by Motohiro Ozaki)

 

尾道の今日は、久しぶりに晴れて暑い一日でした!

昨日の村上友重さんのワークショップのことも載せたいのですが、その前に「アーティスト・ミーティング」の報告の続きを・・・。

第3展示室に進んで、安田暁さんのトークです。



安田さんは、主に写真を媒体にしつつ、カメラを使わない写真や、「ある操作」を加えた写真を制作されています。

例えば、印画紙の上に直接、光るものを載せて感光させたり、プリントした写真の一部を覆ったり、複数のイメージを焼きつけたりなど・・・

安田さんはそれらの行為を、「まっすぐにしか進まない光を、むりやり曲げるようなこと。」という言い方で表していました。



写真といえば普通は、カメラを使って、実際に見えているものを、正確に写し撮ったものですよね。

しかし安田さんは写真を撮ることで、私たちが見失っているものや、見えていないものを浮かび上がらせていきます。

 

例えば 〈山を見る〉 では、写真にとって風景の一部を、金箔で覆っています。

覆われているのは、尾道駅の背後にそびえる“尾道城”。

実は“尾道城”は、個人によって建てられたフェイクの城で、当時は展望台だったのですが、現在は立入禁止の廃墟となっています。


街を訪れる人からは一番に目立つ場所にありながら、その街に住む人からは見放されてしまった、という矛盾した存在。

それを覆う金箔は、装飾ではなく、光の代わりとして使われています。

写真は、光がなければ写せませんが、光が多すぎると、写真には何のイメージも残りません。

金箔を光に見立てて、写真に写ったイメージを消してしまう、という作品です。

城がない千光寺山は、とてもありふれた山に見えます。

私たちは日頃、自分が見たいものと見たくないものを取捨選択して、見たくないものからは、上手に目を背けてはいないでしょうか。

尾道の風景の中には、実はそうやって視線から外れてしまうものが多いのではないかと思います。



また展示のはじめには、三岸節子の絵画と、安田さんの私物であるランプを置いています。

このランプは、もともと安田さんのお父さんのもので、とてもとても大切にしていらっしゃったものだそうです。

でも、お父さんが大切にしていた理由はよく分からない、とのこと。

安田さんの作品〈ランプ/ゴースト#1〉は、このランプを被写体にして、モノクロで一度焼いた写真の上に、色だけをまた重ねて焼いています。

少しずれて、うすくゆらめく色は、まるで幽霊のように見えます。

安田さんは、写真を撮ろうとすること自体が、幽霊のように不確かなものを見ようとすることなのでは、と語ります。

 

また三岸節子は、お祖母さんが好きな作家だったこと。

しかし自分は正直、今までは三岸節子を良いと思ったことはなかったこと。

でもこの作品は、意外と面白いと思えて、フォルムと色がそれぞれ別の方向を向いているように見えると話してくれました。

 

 

なかた美術館の絵画は、もともと一人のコレクターによって、ほぼ個人的な動機で収集されてきました。

その中から、再度プライベートな理由で作品が選ばれ、見られるというのは、とてもまっとうなことのように思えます。

ある作品が、誰かにとって重要なものになるのは、必ずしも、美術史的に重要であることや、“巨匠”が描いたからではなく

個人的な気づきや、私的なつながりがあるからだろうとも思います。

それぞれの作家の方に選んでもらうことで、コレクションに新しい姿が与えられているようで、そこも本展の見どころのひとつになっています。


とお誘いしつつ、明日18日(月)〜22日(金)は夏期休館となります。

大変申し訳ございませんが、どうぞご注意下さい。

休み明け8月23日(土)から通常どおりの開館です。またどうぞよろしくお願いいたします。



(上から2枚目、3枚目、4枚目:photo by Motohiro Ozaki)

 

 

「アーティスト・ミーティング」の続きをお届けします。


第2展示室では、アーティスト・ユニットの「もうひとり」が展示しています。

「もうひとり」は作家の小野 環さんと、当館ディレクターでもある三上清仁の二人によるユニットです。

当日は都合により二人が不在の開催となり、大変申し訳ないながらも、最初に少し電話をつないだ後、私から作品解説をしました。



まずは「もうひとり」の作品タイトルのひとつでもあり、今回の二人の展示に通底するテーマとなった

 “見えない彫刻”

という言葉について。


これは劇作家の岸井大輔さんが、尾道でレクチャーを行った際に生まれた言葉です。


参加者から質問があり、芸術祭やアートイベントが盛んになった近年、

もうひとりの作品のようなインスタレーションなどを、街なかや野外で見る機会が増えていること、

しかし現代アートを見慣れていない人には“美術作品”として認識されにくいのでは?という話になったそうです。



 

そこで岸井さんは同じく街中にある、野外彫刻の存在を挙げました。

たいていは人物や裸婦などがモチーフで、駅前や公園に設置されています。

それらは確かに“美術作品”だからこそ設置されたはずですが、果たして私たちはそれを美術として意識してるだろうか?と、岸井さんは問います。


実際には多くの人が、その存在を知っていたとしても、なんとなく待ち合わせの目印にしているくらいで、美術作品としては見ていないのではないでしょうか。

そればかりか、視線を回避するかのような位置にあったり、植栽やフェンス、看板などの雑多なものに紛れて、物理的に見えなくなっているものすら散見されます。


岸井さんは、そういった彫刻の存在をリサーチするため、facebook上にこの「見えない彫刻を探す」というグループのページを作り、「もうひとり」を含め参加者たちが、そんな彫刻を発見する度に、写真を撮って報告し合っているそうです。


「もうひとり」の作品にはこの “見えない彫刻” のほかにも、街の中で無視されているもの、私たちが見ていない存在がたくさん登場しています。


例えばチラシにもイメージを使った作品〈迷子石〉は、かつて氷河が運んで置き去りにした石=“迷子石”をモチーフにしています。

スイスでは駐車場や道端に、こうした石がごろごろと放置されていて、とても目立っているにも関わらず、そこに暮らす人にとっては、当たり前すぎて見えていないのだそうです。


また〈迷子石〉は、模様を印刷した紙で表面を覆っているのですが、これも見えていないもののひとつ。

焼き杉調のプリントを施した“木目調トタン”という、瀬戸内地域に多く見られる素材の模様です。


古い家が多く残る尾道では、手軽な素材として家の補修などに重宝され、すっかり景観に馴染んでいますが、

コンビニエントなトタンに、伝統的な素材の柄だけをプリントしてしまうという、実はなんとも大胆でハイブリッドな素材です。

それぞれ尾道ではない場所で生まれ育った「もうひとり」だからこそ、気づいた存在でもあり、しばしば二人の作品に登場しています。


ここでは、いわば見えないもの同士が掛け合わされているのですが、なんとも異様な存在感です。



もう一点、〈二つの泉〉というインスタレーションを紹介します。

奥に見える絵画は、美術館のコレクションである〈セザンヌの泉〉。

ルオーがセザンヌを讃えるための噴水のモニュメントのための構想画として描いたものです。

実際にはこのモニュメントは実現しなかったのですが、設置する予定だったエクス=アン=プロヴァンスの街なかには、

元々、装飾された噴水が多くあり、人々の生活になくてはならない、憩いの場になってきたのだそうです。


このインスタレーションでは、想像上の泉に、ふたつの石鹸と、二組のタオルを組み合わせており、この泉で手を洗うイメージが作られています。

見えない彫刻と、迷子になった石、実現しなかったモニュメント、境界を溶かす石鹸・・・などなど、

あらゆるイメージが数珠繋ぎのように展開して、私たちの認識を揺さぶり、新しい風景を見せてくれます。


何を見ていて、何を見ていないのか、そして何を作品とするのか、という問いは美術館にとって、常に意識しなければならないものでもあります。


「もうひとり」の作品は、本展のための新作ばかりで、まだ紹介しきれないほど。

ぜひこの機会に、直接ご覧頂ければうれしいです。

そして、ご本人たちが不在でのトーク開催となってしまったこと、改めてお詫び申し上げます。


8/17(日)、9/28(日)、10/19(日)のそれぞれ14:00〜15:00に、

ミュージアムトーク「学芸員による絵画と本の話」として、ここに書ききれない作品の話をいたします。

ぜひご参加ください。


そして「アーティスト・ミーティング」の報告も、まだまだ続きます!

どうぞお付き合いくださいませ。 

 

 


 
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広島県尾道市(しまなみ)の美術館 コレクションは、フランス現代具象画家ポール・アイズピリ、ピエール・クリスタン、エコール・ド・パリを中心としたフランス近代絵画、梅原龍三郎、中川一政、林武ら日本近代絵画、尾道を代表する小林和作、絵のまち尾道四季展招待作家作品など、国内外の洋画を中心とした約200点。
音楽鑑賞の場として、所蔵のチェンバロを中心としたバロックコンサートを定期的に開催するほか、ジャズやクラシックなど様々なジャンルの演奏家によるディナー付きコンサートも企画・開催しています。併設するフレンチレストラン「ロセアン」では、ランチ・ティータイムはもちろん、美術館閉館後もゆったりとした空間でライトアップされた庭園を眺めながらの本格的なディナーが楽しめます。

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