ワークショップ「小さな額縁作り」を開催しました
更新日:2022年4月24日(日) 【nakata Labs なかたラボ】
こんにちは!
先日開催した親子ワークショップ、「小さな額縁作り」の様子をお伝えします。
額縁は美術館にとって馴染み深い存在で、大切な絵画を引き立て守ってくれています。
今回はいつもは脇役のような存在の「額縁」に注目して、おうちで楽しめる額縁を親子で作りました。
まずは展示作品を鑑賞。
美術館の額にはどんなデザインのものがあるのでしょう?
よく観察してみると、額縁には植物のような曲線模様が多くあしらわれていて、
基本的に左右対象に配置されていました。
色もきらびやかな金色から、落ち着いた茶色、そして所々彩色が施されたものもあり、
作品に似合うように額縁が選ばれているのがよくわかります。
いろんな額縁を見たあとは、実際に作っていきます。
まずは木材で枠を作り、絵が引っかかるようにスペーサーを取り付けます。
裏面に厚紙を入れて、折り曲げた虫ピンを打ち込んで固定できるようにしました。
土台ができたらコラージュをします。
材料は小さな木片と、石膏で作った小さなレリーフ。
三角や四角の木片を規則的に並べると、いろんな模様を作ることができます。
こんなふうに散りばめて、賑やかな模様もできました
美術館にあるような左右対称を意識したデザインでしょうか。
出来栄えはどうですか?
コラージュができたら色を塗ります。
これが意外と難しく、細かな部分は丁寧に絵具を塗り込んでいきます。
最後にスタンプで色や模様をつけました。
スポンジを叩くようにして着彩すると、まるで箔を貼ったような風合いになります。
まるで職人さんのような手つきでした・・!
出来上がったものがこちらです。
落ち着いた茶色やスタンプの擦れ具合もあいまって、アンティークの額縁のようになりました!
細部までこだわって作られた様子が伝わってきますね。
親子で作った額縁にはどんなものが飾られるのでしょう。
過去の絵画が大切にされながら現在まで残っているように、
この額縁にも家族の思い出の絵や写真が残っていってくれると嬉しいです。
参加者の皆さん、ありがとうございました!
nakata Labsワークショップ『陶房CONELと小さな花瓶』を開催しました
更新日:2022年4月22日(金) 【nakata Labs なかたラボ】
先日、開催した nakata Labsワークショップ『陶房CONELと小さな花瓶』の様子をご紹介します。
開催中の展覧会「はじまりのバラ」では、花を描いた作品をたくさん展示しています。
それにちなみ、小さな花瓶を作るワークショップを企画しました。
講師として、尾道の山手地区で陶芸作品の工房とショップを営む「陶房CONEL (とうぼう こねる)」さんをお招きしました。
お天気も素晴らしく、庭にテーブルを出して作業することができました。
CONELさんに優しくコツを教えてもらって作り始めます。
まず球状の粘土の真ん中にくぼみをつくり、くるくる回しながら、少しずつ均等に、薄く上に伸ばして瓶の形にします。
粘土はひんやりして、やわらかく、触れるているだけでどんどん手を動かしたくなります。
瓶の口の部分をすぼめていくのが難しいのですが、みなさんお上手!
全体の形ができたら、スタンプを押し付けて模様をつけていきます。
途中から、庭で拾った石や葉っぱ、木の実なども道具に加わって、おおいに盛り上がりました。
とにかく象が大好きな小学生の参加者さんの作品も楽しいです。
(耳と鼻の下には、粘土がしっかり乾くまでの支えをしています)
確かに自分が作っているはずなのに、手の中で想像以上のものになっていく新鮮な驚きがあり、
粘土をこねるのと同じように、気持ちものびのびと、やわらかくなるような時間でした。
本来はこのあと、乾燥→素焼き→釉がけ→本焼きとたくさんの工程があるのですが、今回はCONELさんに委ねて、完成後のお届けとなります。
作品はまた後日、ご紹介いたしますので、どうぞお楽しみに!
ミュージアムレクチャー『尾道の風景と文芸誌』を開催しました
更新日:2022年2月2日(水) 【nakata Labs なかたラボ】
1月23日(日)に、「遠景の絵画」展に関連して、ミュージアムレクチャー『尾道の風景と文芸誌』を開催しました。
尾道市市史編さん委員会事務局の専門員、林良司さんを講師にお招きして、戦後の尾道で作られた文芸誌と、それにまつわるエピソードを詳しくお話ししていただきました。
レクチャーに入る前にまず、参加者の皆さんと一緒に展覧会を鑑賞しました。尾道を描いた風景画や、今回のお話の軸にもなる小林和作の絵画や関連資料を見ていただきました。
小林和作は1888年(明治21年)に山口県で生まれ、1934年(昭和9年)から亡くなる1974年(昭和49年)までの後半生を尾道で過ごした画家です。物心両面から尾道の文化振興に尽力し、尾道市名誉市民にもなりました。元々は日本画を学ぶために京都へ進学しましたが後に洋画へ転向し、尾道やその周辺、そして信州の山々の風景を描きました。
今回のレクチャーでは、小林和作が関わった『瀬戸内海』と『随想おのみち』という2つの文芸誌について学びました。
『瀬戸内海』は、戦後間もない1946年(昭和21年)から翌年にかけて、浜根岸太郎(2代目)によって発行された文芸誌です。尾道発のローカルな雑誌ですが、執筆陣には井伏鱒二や吉井勇など、当時の名だたる文豪たちの名前も見えます。表紙絵は小林和作や、須田国太郎、森谷南人子が手がけました。終戦直後の用紙難に見舞われ、わずか5号で廃刊となりましたが、大物級雑誌であったことは間違いないでしょう。
実現こそしませんでしたが、織田作之助にも寄稿を依頼していたことが、現在残っている書簡から明らかになっています。まだまだ未知の部分が多い雑誌なので、今後の研究の進展に期待が高まります。
『随想おのみち』は、1961年(昭和36年)に「尾道随筆クラブ」の同人たちによって発行されました。この、「尾道随筆クラブ」は、小林和作が1960年に主唱して有志とともに結成した団体です。『随想おのみち』には主に随筆クラブの同人たちが日常のことや尾道にまつわること、自身の考えなどをしたためた随筆を投稿していました。その他にも、俳句の投稿や絵画、書画の紹介もされ、バラエティ豊かな誌面となっていました。和作も没後に発行された34号以外は毎号投稿しており、その随筆からは和作自身の芸術観や、当時の尾道の様子がうかがえます。
本誌には、かつて計画されていた和作と菱雨という画家の「幻の二人展」に関する随筆も見えます。菱雨は、京都で日本画を学んでいた時の和作の同級生でした。卒業後は美術の道から離れ、岡山県で僧侶として暮らしました。和作と菱雨は再会した折に、二人展を開く約束を交わしましたがその後和作が不慮の事故によって亡くなり、その約束は果たされませんでした。
しかし、和作の死没から40年後の2014年に、おのみち歴史博物館にて二人展の開催が実現しました。林さんからは、和作と菱雨の関係が綴られた随筆「旅で拾った物語」(『随想おのみち』17号掲載、後藤柾留著)をご紹介いただき、2014年の二人展開催に至るまでの調査の過程についても詳しくお話していただきました。
また、小林和作と親しくした尾道の文化人たちの興味深い話も読み取ることができます。今回は林さんより、小野鉄之助、森信蔵、島居哲の3人についてお話をうかがいました。
小野鉄之助は、尾道で産婦人科を営む傍ら、絵画やスポーツなど多趣味で多芸な人物でした。文化振興にも和作と共に尽力し、「無茶会」や「五の日会」などのイベントを開催するだけでなく、後に尾道市文化協会の初代会長も務めました。そのような彼を、林さんは「総合プロデューサー」と称します。(ちなみに和作は、突飛なことを思いついては実行する小野に対して「道楽息子を一人かかえているようなものだ」と語っていたそうです。)
森信蔵は、東京で新築地劇団員として活動していましたが、終戦後に尾道へ戻り、市議会議員を務めました。ある時、総合プロデューサー・小野鉄之助が、森と志賀直哉の縁をもとに志賀の尾道での講演会を計画しました。しかし和作はそれに異を唱え、その旨を記した書簡を森へ送ります。今回は和作直筆のその書簡を実際に閲覧させていただきました。忌憚ない意見をぶつけるその文章からは、和作と森の信頼関係がうかがえます。
島居哲は、尾道市議会議員等を経て衆議院議員も務めた人物ですが、同時に茶道にも精通しており茶人としての一面も併せ持っています。島居に関しては千光寺公園での茶会の折、その度量と機転の良さを活かして、茶菓子が届かないというピンチを華麗に切り抜けたことを林さんからご紹介いただきました。『随想おのみち』18号に島居は「茶のこと」という随筆を投稿しており、彼の茶道に対する並ならぬ思いを知ることができます。
絵画や写真から視覚的に見る尾道の風景だけでなく、レクチャーで紹介した文芸誌にあるような、文章から見えてくる尾道の風景についても思いを巡らせていただけたら幸いです。
ご参加いただいた皆さま、講師の林さん、ありがとうございました!
音楽鑑賞の場として、所蔵のチェンバロを中心としたバロックコンサートを定期的に開催するほか、ジャズやクラシックなど様々なジャンルの演奏家によるディナー付きコンサートも企画・開催しています。併設するフレンチレストラン「ロセアン」では、ランチ・ティータイムはもちろん、美術館閉館後もゆったりとした空間でライトアップされた庭園を眺めながらの本格的なディナーが楽しめます。